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鳥羽伏見の戦い、北越戦争と続いた明治維新の最後の戦いが、この函館で行われました。碧血碑は函館戦争の戦死者の霊を弔うために、明治8年5月に柳川熊吉が中心となって建立しました。題字は函館戦争当時の陸軍奉行の大鳥圭介のものと言われています。「碧血」とは中国の故事の「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」から取られています。
土方歳三、終焉の地
幕末の京都を震え上がらせた新撰組の副長、土方歳三の終焉の地が函館市街にあります。いまも地元の方の手で花が添えられています。
中島三郎助、終焉の地
浦賀奉行所の与力だった中島三郎助とその子息の長男恒太郎、次男栄次郎が戦死した地です。昭和6年(1931)にこの辺り一帯が中島町と名付けられました。中島三郎助は文政4年(1821)の生まれ、天保6年(1835)に浦賀奉行所与力見習いとして出仕しました。ペリー提督の来航時には、応接掛となりました。安政2年(1855)に幕府が設けた長崎海軍伝習所の第一期生となりました。同期生に勝海舟などがいます。幕府崩壊後、榎本武揚らと行動をともにしました。浦賀にも中島三郎助の招魂碑があります。
土方歳三と新撰組隊士4名の供養碑
土方歳三の縁の東京都日野市の金剛寺の過去帳に、土方歳三の供養碑を函館称名寺に建てたと記載があります。当時に建てられた供養碑は明治時代の大火で消失してしまいましたが、台風によって墓石を壊されてしまっていた新撰組隊士4名とともに昭和48年に建立されたこの供養碑に名が刻まれました。
函館戦争の跡、碧血碑の地図
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