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北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸

北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸

更新日:2007/02/12

咸臨丸は、日本人の手で初めて太平洋を横断した幕末の蒸気船です。このときの目的は日米修好友好条約を締結する幕府使節の護衛のためにでした。司令官は木村摂津守、艦長は勝海舟でした。福沢諭吉が乗っていたことでも知られています。勝海舟は自分が最高指揮官として渡米するものと思っていたのに上役に海軍には素人の木村摂津守を頂くことになったためふて腐れてしまい、アメリカまでの航海中、艦長室からあまり出てきませんでした(「海舟座談」の木村摂津守のあとがきより)。一般には船酔いがひどくて艦長室から出てこなかったと伝えられています。

幕末、咸臨丸は幕府海軍の軍艦として活躍しましたが、戊辰戦争の頃には老朽化が甚だしかったようです。機関の痛みが特に激しかったので蒸気機関を取り外してしまい、慶応2年(1866)以降は風帆船となりました。江戸幕府の瓦解後の慶応4年(1968)、当時海軍副総裁だった榎本武揚が江戸から蝦夷地へ向かった航海中に時化で榎本艦隊とはぐれてしまい、千葉県銚子沖から静岡県清水沖まで流されてしまって清水沖で難破してしまいました。榎本艦隊を追ってきた明治政府軍が咸臨丸を接収し、以後は明治政府の所有する船となりました。接収のとき、明治政府軍は多数の乗組員を虐殺し、死体を放置したので、清水の海岸は死臭で満ちました。みかねた清水の次郎長が侠気で乗組員の遺体を埋葬しました。

明治政府は咸臨丸を輸送船として、北海道の開拓のための物資の輸送に使いました。本州と北海道を結ぶ公開の途中、津軽海峡の北海道側、木古内町の沖合で遭難し沈没しました。国道228を函館から松前に向かって進むと、上磯町から木古内町にはいるとすぐに左手にサラキ岬があります。ここに咸臨丸と書かれた大きな看板や標識が建っています。

正式には幕府御軍艦咸臨ですが、太平洋の横断という劇的な仕事を達成したことからか擬人化され、幕末の当時から咸臨丸と「丸」の字がつけられていました。

咸臨丸が眠るサラキ岬

咸臨丸が眠るサラキ岬

サラキ岬は、現在は海水浴場となっています。

北海道に残る幕末の海軍・昇平丸

北海道に残る幕末の海軍・昇平丸

ペリー提督の来航(1853)の衝撃がまだ覚めない安政元年(1854)に、薩摩藩主島津斉彬の命で建造された国産の西洋式風帆船です。構造は木造、全長33m、排水量370tと伝えられています。3本のマストに10枚の帆を張ることが出来ました。大砲を10問備えることが出来ました。

完成の翌年、薩摩藩から江戸幕府に献上され、船名を「昌平丸」と改めたあと、勝海舟らを乗せて長崎海軍伝習所に回航して、ここで練習船として使用されました。

明治維新後の明治2年(1869)に明治政府は昇平丸を北海道開拓に移管、物資の輸送に使用しました。その後、明治3年(1970)2月、東京から小樽へ向かう航海中に渡島大島沖で風浪にあい、風で海岸に吹き付けられて沈没しました。

沈没の碑は上ノ国町の市街部からやや南に下ったところにあります。国道228に小さいですが標識が出ています。夷王山の西岸、寅ノ沢のあたりです

北海道に残る幕末の海軍・開陽丸

北海道に残る幕末の海軍・開陽丸

開陽丸は、戊辰戦争の直前にオランダから回航してきた、当時の日本の最大最強の軍艦で、力の象徴でした。榎本武揚が蝦夷共和国を夢見る力の裏付けになったとおもわれます。
構造は木造、全長72.8m、全幅13m、排水量は2590tあります。3本の大きなマストに帆を張って帆走しますが、補助動力として400馬力の蒸気機関がついていました。この蒸気機関で最大10ノットの速力がでました。
大砲は完成当初は26門でしたが暫時増強され、最終的には35門を備えていました。このうち18門が当時最優秀砲といわれていたドイツ・クルップ社製の16cm砲です。
文久3年(1863)9月にオランダのドルトレヒト市ヒップス・エン・ゾーネン造船所にキールが据えられ4年後の慶応3年6月に江戸幕府に引き渡されました。

慶応2年(1866)にオランダで完成し、翌慶応3年(1867)4月に横浜に回航されました。この後、1年足らずの慶応4年(1868)1月に鳥羽伏見の戦いがあり、戊辰戦争の幕が切って落とされました。開陽丸が武運の強い船ならば、このあと大活躍をするのですが、そうはなりませんでした。

最後は哀れで、軍艦らしい戦闘は1度も経験せず(わずかに阿波沖で薩摩藩の軍艦春日に砲撃を加えたが命中弾は得られなかった)、慶応4年(1868)11月、旧幕府軍が蝦夷地占領の戦略の一環として行われた江差攻略の時に、海上から艦砲射撃を加えるために江刺沖に来航して時化にあり、適当な港に避難することもせず風浪の中を漂ったあげくに沈没しました。

この船の正式な名称は幕府御軍艦開陽ですが、この船を守る江差の人たちの思いが込められたとき、「開陽丸」と丸がつくようになったと思われます。

復元された開陽丸

復元された開陽丸

江差町の鴎島に開陽丸が復元されています。内部は開陽丸から引き揚げられた遺品の展示場となっています。入館料が700円とちょっと高いのが難点ですが、開陽丸の発掘の資金や遺品の保持のための寄付と思えば納得も行きます。

開陽丸の展示品

開陽丸の展示品

展示物で面白かったのがガトリング砲です。これまで日本に輸入されたガトリング砲は、長岡藩が陸砲として2門、鹿児島藩が軍艦春日の備砲として1門、合計3門だと思っていたのに、開陽丸にも搭載されていたらしいことが分かったことです。開陽からはまだガトリング砲本体は発掘されていませんが砲弾(銃弾)は多数引き揚げられていました。

北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸の地図

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