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武蔵阿蘇神社

武蔵阿蘇神社

更新日:2012/01/17

多摩川サイクリングロードの上流がわは玉川上水取水口で終わりますが、ここから車道を少し走って玉川神社にでると、また河川沿いの道がありその道が700mほどの自転車歩行者専用の道路につながっています。
玉川上水取水口の1kmほどの上流にあるのが阿蘇神社です。

表参道の鳥居

表参道の鳥居

多摩川沿いの自転車道路が終わったところに鳥居が立っています。鳥居から社殿までは境内という雰囲気ではなくてちょっと荒れた遊歩道という雰囲気の小径が続いています。小径の左には闊葉樹の大木が幾本も育っていて日差しを隠しているのが神社らしいと言えば言えますが、鬱蒼と言うほどではありません。小径の右には畑が作られていて神社らしい雰囲気を打ち消しています。

表参道

表参道

表参道だった道は、今は通る人は希な様で、土の路面が雨水で洗い流されていて中の石が顔を出していて、凹凸のある悪い道です。

入口の石段

入口の石段

石段を登ると正面に社殿があります。東京都の文化財に指定されている本殿はこの社殿の中に鎮座していますが、外からは見ることが出来ないようです。

社殿

社殿

本殿は江戸時代の延宝4年(1676年)に造られたものです。様式から江戸時代初期、中期とわかる建築物は多いですが、造られた年が文献からも特定できるのは珍しいと言うことです。

祭神

阿蘇神社と言う名前から、九州の阿蘇山のカルデラにある“阿蘇神社”から勧進されたのだろうと想像したのですが、神社に有ったパンフレットを読んでみると“阿蘇神社”についての記述はあるものの、阿蘇神社と“阿蘇神社”の関係については触れられていません。祭神の主座三座は“阿蘇神社”と同じで健磐龍命(たていわのたつのみこと)、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)です。

阿蘇神社の歴史 創建

社記によると創建は推古天皇9年(601年)と伝えられています。聖徳太子(574-622年)の27才の頃です。601年に創建された神社なら延喜式に記載されていても不思議ではないのですが、何か事情があって記載されなかったのでしょうか。
由緒では承平3年(933年)に平将門が社殿を造営(平将門の乱の数年前)、天慶3年(940年)に藤原秀郷が社殿を造営(平将門の乱の平定の直後)したとされています。
パンフレットの「鎮座千四百年 阿蘇神社」には、ここまでは色を分けて書かれているので、伝説的に扱っているようです。

阿蘇神社の歴史 中世

パンフレットでは「正平9年(1354年)社殿を造営」から色が変わっているので、文献などによって確かめられた年代なのでしょう。
1354年というと南北朝の擾乱の時代です。北朝の総帥の足利尊氏(1305-1358)が活躍をしていた時代で、南朝では後醍醐天皇はすでに崩御されていて後村上天皇(1328-1368)の時代となっていました。金閣寺(鹿苑寺)の建立で有名な南北朝の争乱を収めた足利義満(1358-1408)はまだ生まれていません。

永正15年(1516年)に小田原北条氏が二十貫の領地を寄進とあるのが目を引きます。
1516年なら戦国時代の幕を開けた北条早雲(?-1519年)の在世中です。丁度、三浦半島に盤踞する三浦道寸父子と合戦をしている年なので、勝利を祈願しての寄進だったのかも知れません。あるいは三浦氏との合戦にはこの年に勝利をしているので勝利のお礼かも知れません。

阿蘇神社の歴史 徳川家康

歴史上の著名人では慶長3年(1598)の徳川家康の参拝があります。
家康という人は「東照大権現」と言う神様になってしまった人ですが、在世中は熱心な浄土宗の信者で念仏を欠かしませんでした。同時代の織田信長や豊臣秀吉に比べると宗教に対する姿勢は篤実な感じがします。家康は信長の同盟者で武田信玄と文字通りに悪戦苦闘を重ねたのですが、気質的には同盟者の信長よりも信玄の方が好もしく思っていたのではないかと言う気もしてきます。
1598年というと豊臣秀吉の歿した年なので、穿った考えをすれば、阿蘇神社への参拝は天下取りの成就を祈願するものだったかも知れません。史実としては取るに足らない小さな事ですが、もし徳川家康や関ヶ原の役を小説で書くとすれば、阿蘇神社に参拝する家康の心理描写をするのも面白いかも知れません。決して大きな神社とは言えず、居住の地の江戸城から羽村までは徒歩なら往復で1泊2日、騎乗でも丸一日はかかるのに、家康自身が参拝をしていたとすれば、その心事は興味をそそられるところです。

阿蘇神社の歴史 徳川家光

また、徳川家康の孫の徳川家光(1604-1651)も、慶安2年(1649年)に十三石の領地を寄進したとあります。これは、そのときの朱印状が残っています。この頃は、徳川家光は公方様、征夷大将軍なので自身では来ていないでしょう。
家光は慶安4年に病没しているので慶安2年(1649年)と言うと死の2年前にあたります。
発病するのは死の前年ですから、1649年には特別に神様に祈願をすることは起きていないようなので、寄進の理由は想像できません。ただ、この将軍は太平の世に生まれたにしては事の多い人で、在位中に、1637年に島原の乱、1639-1641年にかけての鎖国制度の確立、1644年にお隣の国で明の滅亡と清の成立、等がありました。

阿蘇神社の歴史 明治以後

旧称は阿蘇大明神、長淵郷竜水山阿蘇宮、阿蘇宮と呼ばれていましたが、明治維新の後に阿蘇神社に改められました。このときに徳川将軍家から頂いていた朱印状を奉還して神領を上知しました。上知は明治政府が全国の寺院と神社に対して領地の没収を行ったものですが、パンフレットには逓減録金50円を下賜されたと描かれています。全国の寺領を持つ寺院や神領を持つ神社がどのくらい当時有ったのかは分かりませんが、領地の没収の対価として金銭を下賜していたとすれば途方もない金額となったはずです。
同じ明治時代初期の士族の禄高を廃して公債を与えた俸禄処分は知っていましたが、寺社に対する上知と下賜金は知りませんでした。

赤米1

神事の一つとして、古代米と言われる赤米黒米の栽培を行っています。
わたしが初めて赤米黒米を見たのは1999年頃の冬の鹿児島県薩摩半島の山の中の公営の土産物屋で、本で上古には赤米が栽培されていた事を知識として持っていただけで、現代でも栽培されているとは知りませんでした。近年では雑穀ブームのためか、歴史ブームのためか、地域興しのためか、日本各地で赤米黒米が売られているのを観る様になりました。

赤米2

正倉院に保存されている古文書や平城京から出土する木簡などに「赤米」の記述があったり、日本人が祝い事の時に炊く赤飯の祖先ではないかと言われて久しい赤米ですが、近年、DNAの解析により、例えば長崎県対馬で栽培されている赤米は熱帯ジャポニカと呼ばれる種類であることが分かりました。私たち日本人がたべている、例えばササニシキやコシヒカリや秋田小町は温帯ジャポニカと呼ばれる種類で、対馬の赤米とは種類が違っています。対馬では水田で栽培されていますが元々は焼き畑で栽培されていた種類の様で、今から5000年前の縄文時代には日本の各地で栽培されていた米ではないかと考えられている様です。
熱帯ジャポニカから温帯ジャポニカへの遺伝子の変化は、熱帯ジャポニカを水田で栽培をした長い時間の間に、水田に寄り適合するために起こったようです

武蔵阿蘇神社の地図

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