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道南 [観光・レジャー]

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トピック (10)

  新しい順に10件を表示中

1.北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸

2.函館市元町(旧市街)

3.立待岬

4.函館の高田屋嘉兵衛

5.函館戦争の跡、碧血碑


6.函館五稜郭

7.北海道駒ヶ岳

8.恵山

9.恵山の昆布漁

10.志苔館(しのりだて)


北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸 (道南)

咸臨丸は、日本人の手で初めて太平洋を横断した幕末の蒸気船です。このときの目的は日米修好友好条約を締結する幕府使節の護衛のためにでした。司令官は木村摂津守、艦長は勝海舟でした。福沢諭吉が乗っていたことでも知られています。勝海舟は自分が最高指揮官として渡米するものと思っていたのに上役に海軍には素人の木村摂 ......
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北海道に残る幕末の海軍・咸臨丸

咸臨丸が眠るサラキ岬

サラキ岬は、現在は海水浴場となっています。

北海道に残る幕末の海軍・昇平丸

ペリー提督の来航(1853)の衝撃がまだ覚めない安政元年(1854)に、薩摩藩主島津斉彬の命で建造された国産の西洋式風帆船です。構造は木造、全長33m、排水量370tと伝えられています。3本のマストに1 ......

北海道に残る幕末の海軍・開陽丸

開陽丸は、戊辰戦争の直前にオランダから回航してきた、当時の日本の最大最強の軍艦で、力の象徴でした。榎本武揚が蝦夷共和国を夢見る力の裏付けになったとおもわれます。構造は木造、全長72.8m、全幅13m、排 ......

復元された開陽丸

江差町の鴎島に開陽丸が復元されています。内部は開陽丸から引き揚げられた遺品の展示場となっています。入館料が700円とちょっと高いのが難点ですが、開陽丸の発掘の資金や遺品の保持のための寄付と思えば納得も行 ......

開陽丸の展示品

展示物で面白かったのがガトリング砲です。これまで日本に輸入されたガトリング砲は、長岡藩が陸砲として2門、鹿児島藩が軍艦春日の備砲として1門、合計3門だと思っていたのに、開陽丸にも搭載されていたらしいこと ......

函館市元町(旧市街) (道南)

函館山が函館港を囲むよう張り出している部分のわずかな平野部が函館市元町です。幕末から明治初期にかけて大いににぎわったところで、今でも当時のままの建築物が多数残されています。自転車で廻るには坂が多く、勾配も急なので向きませんが、こうした旧市街は自転車を離れ、のんびりと徒歩で廻るのがより楽しいです。
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函館市元町(旧市街)

函館ハリストス正教会

函館ハリストス正教会は、安政6年(1858)に建てられた函館ロシア領事館付属聖堂と、初代函館ロシア領事のゴシケヴィッチとともに来日した領事館付司祭イオアン師から始まりました。しかしわれわれ日本人には、文 ......

旧函館区公会堂

明治40年(1907)の大火で函館区民の集会所であった町会所が消失した後、明治43年(1910)に建てられたものです。昭和49年に国の重要文化財に指定されました。設計者は函館在住の技師小西朝次郎、棟梁は ......

函館市旧イギリス領事館

函館が国際貿易港として栄えていたころの名残を一番感じさせてくれるのが、大英帝国の領事館でしょうか。現在は函館市の有形文化財の指定を受けて、「開港記念館」として有料で一般公開されています。函館のイギリス領 ......

旧ロシア領事館

安政6年(1858)に初代函館ロシア領事のゴシケヴィッチの着任とともに函館ロシア領事館の歴史は始まり、領事館が閉鎖される昭和19年(1944)まで続きました。現在の建物は日露戦争の後の明治41年に建てら ......

古民家

函館市元町の魅力の一つは和洋折衷の古民家が残されていることです。

八幡坂

文化元年(1804)に基坂上にあった八幡宮がこの坂の上に移されたことから、八幡坂と呼ばれるようになりました。八幡宮は明治13年に谷地頭町に移転したのでここには有りません。函館市元町の代表的な坂道です。

函館港と赤煉瓦の倉庫

函館港沿いに赤煉瓦の倉庫が幾棟か保存され、再利用されています。明治40年頃の建築です。赤煉瓦の建物と港が創り出す雰囲気はとても良いのですが、それだけに観光客が沢山訪れるので、人でごった返しています。

立待岬 (道南)

立待岬は断崖絶壁に囲まれていて、岬の展望台からは函館山が海に落ち込んでいる様を見ることが出来ます。立待岬を含む函館山は第二次大戦が終わるまで海軍の要塞だったので、一般の市民が立ち入ることは出来ませんでした。市内からはわずかな登り勾配がありますが、体力的にはきつくありませんが、岬の入り口付近、石川啄木一 ......
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立待岬

立待岬から見た函館山の海岸

立待岬の展望台から見た函館山と海岸の崖です。

立待岬から見た函館市街

立待岬の入り口付近の高台からが、函館の市街を一番よく見ることが出来ます。

石川啄木一族の墓

岩手県生まれの明治期の歌人の石川啄木は、東京や北海道の各地を転々としていましたが、この函館にも明治40年5月から9月まで住んでいました。石川啄木は明治45年4月に東京で亡くなりましたが、大正2年に妻節子 ......

与謝野鉄幹・晶子の歌碑

与謝野鉄幹・晶子夫妻は昭和6年に函館を訪れました。このときに詠まれた歌が歌碑となっています。歌碑は、昭和31年に函館図書館の創設者であり館長でもあった岡田健蔵の13回忌が行われ、翌年、岡田健蔵を顕彰する ......

函館の高田屋嘉兵衛 (道南)

道南の中心都市の函館市は、江戸時代後期の商人の高田屋嘉兵衛が作ったと言われています。高田屋嘉兵衛は明和6年(1769)に淡路島で生まれ、28歳の時に当時は箱館と書き表されていたこの地に来ました。その後、箱館を高田屋の商売の中心地と定め、店や倉庫、造船所などを次々と建築して箱館の基礎を築いたほか、国後島 ......
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函館の高田屋嘉兵衛

高田屋嘉兵衛象

箱館山の麓に発つ高田屋嘉兵衛象です。背景に箱館山を背負い、箱館を創った男の雰囲気が良く出ています。夜はライトアップされます。

高田屋嘉兵衛の一族の墓

高田屋嘉兵衛の墓は故郷の淡路島に建てられましたが、一族の金兵衛とその家族が函館に住んだことから、称名寺に高田屋の墓が建てられました。称名寺には新撰組副長の土方歳三の供養塔も建てられています。

函館戦争の跡、碧血碑 (道南)

鳥羽伏見の戦い、北越戦争と続いた明治維新の最後の戦いが、この函館で行われました。碧血碑は函館戦争の戦死者の霊を弔うために、明治8年5月に柳川熊吉が中心となって建立しました。題字は函館戦争当時の陸軍奉行の大鳥圭介のものと言われています。「碧血」とは中国の故事の「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色に ......
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函館戦争の跡、碧血碑

土方歳三、終焉の地

幕末の京都を震え上がらせた新撰組の副長、土方歳三の終焉の地が函館市街にあります。いまも地元の方の手で花が添えられています。

中島三郎助、終焉の地

浦賀奉行所の与力だった中島三郎助とその子息の長男恒太郎、次男栄次郎が戦死した地です。昭和6年(1931)にこの辺り一帯が中島町と名付けられました。中島三郎助は文政4年(1821)の生まれ、天保6年(18 ......

土方歳三と新撰組隊士4名の供養碑

土方歳三の縁の東京都日野市の金剛寺の過去帳に、土方歳三の供養碑を函館称名寺に建てたと記載があります。当時に建てられた供養碑は明治時代の大火で消失してしまいましたが、台風によって墓石を壊されてしまっていた ......

函館五稜郭 (道南)

五稜郭は函館半島の付け根の平野部に築造された、西洋の設計思想を取り入れた星形の城郭です。17世紀から18世紀の火縄銃の頃の設計図を元にしているので、築城された幕末の時代の火砲の前には、殆ど要塞としての役には立ちませんでした。幕末維新の函館戦争の時、五稜郭に籠もった人たちには、新撰組の土方歳三や、後に明 ......
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函館五稜郭

新五稜郭タワー

2006年4月にオープンした新しい五稜郭タワーです。これまでの五稜郭タワーよりも高くなっています。

函館五稜郭

五稜郭の城郭は平坦で変化に乏しくなっています。五稜郭タワーなど上から見れば星形の日本では珍しい形を楽しめますが、城郭の上を歩いているときはさほどのおもしろさは有りません。

北海道駒ヶ岳 (道南)

道南を代表する山の一つが駒ヶ岳です。駒ヶ岳は他県にも数多くあるので、蝦夷駒ヶ岳や北海道駒ヶ岳と呼ばれます。駒ヶ岳の周囲を整備された舗装路が通っているので、山を中心に裾のを一周することも出来ます。山頂は爆発で吹き飛んでいるので、見る位置によって山容が大きく変化します。
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北海道駒ヶ岳

森町から見た北海道駒ヶ岳

国道5からみた駒ヶ岳です。山頂が大きく2つに分かれています。函館に上陸して北に漕ぎ出した場合は、この景観を右手に見ながら走ります。

大沼から見た北海道駒ヶ岳

大沼からみた駒ヶ岳が一番美しく見えます。

恵山 (道南)

渡島半島の東の端にある活火山です。恵山を巡る遊歩道が整備されていて、2時間から3時間ほどかけて歩きます。海岸から恵山の駐車場まできつい勾配を上らなくてはならないので、自転車ではしんどいですが体力を使った甲斐のある景観があります。
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恵山

恵山へ上る道

道道元村恵山線から恵山へ上る道路は、きれいに舗装された2車道路ですが、きつい勾配でヘアピンコーナーが連続します。

裏から見た恵山

登山道を登り切ったところから見た恵山の山頂です。海岸から見るよりも、いっそう荒々しい姿をしています。

恵山から見た恵山岬

恵山の遊歩道を30分ほど歩くと展望所があり、恵山岬を眼下に見ることが出来ます。

恵山のカルデラ

恵山の中腹に広がるカルデラと思われる平坦地です。

恵山の昆布漁 (道南)

夏の間、早朝に限って昆布漁が行われます。午前7時を廻ると漁船は港に帰ってきます。昆布漁に使われる漁船は小型ですが、数十隻が一斉に動く様は壮観です。昆布漁から戻ると、すぐに昆布を天日干しします。昆布漁から天日干しまで、大変な力仕事ですが、見ていると流れるような美しさが有ります。
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恵山の昆布漁

港に帰ってくるところ

数隻から十隻ほどが群れのようにかたまって漁港に戻ってきます。

陸揚げ

入港した漁船はすぐに傾斜の着いた陸上にあげられ、昆布を荷揚げします。

昆布の天日干し

荷揚げした昆布は、家族総出で海岸に敷き詰められた石の上にのばして置いて、天日干しします。

志苔館(しのりだて) (道南)

函館市の市街から9kmほど東にある中世の遺跡です。室町時代には渡島半島にはこの志苔館を始め12以上の館が有ったと言われています。この志苔館は小林氏の居館で、室町時代まで利用されていましたが、永正9年(1511)のアイヌの蜂起の時に陥落し、その後は廃館となりました。
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志苔館(しのりだて)

志苔館の空堀

発掘された志苔館の空堀に橋が架けられていました。志苔館はアイヌの最大級の蜂起として有名な康正2年(1456)のコシャマインの乱で陥落しています。陥落は翌年の長禄元年(1457)5月14日です。(松前藩の ......

志苔館の跡

志苔館は中世の館としてはそれほど大規模なものではありませんが、海岸の高台にあり要害を得ています。

志苔館から函館山を見る

志苔館から函館山までは10kmほどです。

志苔館の海がわの崖

志苔館の海がわは急峻な崖となっています。標高はさほどでは有りませんが、攻め上るにはきつい勾配です。






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