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サイクリングトークはサイクリストやチャリダーの情報交換の場です。車に自転車を積んでの日帰りサイクリング、飛行機を利用した輪行、林道を駆け抜けるツーリング、荷物を満載して旅に出るロングツーリングなどに利用ください。 |
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現在の武市旧邸 上記の写真から6年後に撮影した写真です。水田だった建物の前が休耕田となっています。戦国時代の小領主の住居を思わせる風情は健在です。 母屋 現在お住まいの方の許可を得て撮影した母屋です。現在も使われている建物なので、色々と江戸時代にはなかった改良の跡が見受けられます。 刀傷 瑞山武市半平太が小柄(こづか)で傷をつけたと伝承される柱です。現在お住まいの坂本さんは坂本竜馬の坂本家とは全くの別の家系で、長曽我部元親からのこの一帯の領主だそうです。 半平太墓所 生家のすぐ横に武市家累代の墓所があります。
R439からのルート 上記の写真はR197の入り口に建つ標識ですが、今回はR439からのルートを紹介します。写真はR439の矢筈トンネルを東に抜けるとすぐに現れる町道中村線の入り口です。四万十川源流の看板は小さくて見落としや ...... 源流の碑までは荒れたダート 南北、どちらのルートを通っても最後は荒れた未舗装の林道を走ります。勾配も急です。 源流の碑 四万十川源流の碑。四万十川の源流はここから20分ほど山に分け入ったところにあります。登山道なので歩くのはかなりしんどいです。体力と相談して上るかを決めてください。 記念に一筆どうぞ 粋な計らいですが、訪れた人が記念に一筆書いていけるようにノートがおいてあります。沢山の人が書いて行くので、数ヶ月で1冊のノートが一杯となります。 源流への登山道 源流へはこの登山道を歩いて行きます。川を渡り、丸太の上を歩いて行きます。傾斜もかなり急です。
絶壁 観音岩の展望所から左右の海岸を見渡せます。 右側の展望所からの眺望 観音岩の展望所は2つあり、殆どの観光客は左側の展望所だけを見て帰りますが、右側の展望所からの景観もまたすばらしいです。時間があれば、ぜひ立ち寄ることを薦めます。
大堂展望台からの景観 大堂展望台からは半島の先端付近にあるので周囲を一望できます。写真は大堂海岸を遠望したところです。展望台には駐車場、トイレ、東屋があります。 柏島 展望台から柏島を遠望します。展望台の周りの木々が視界を広くするために伐採されています。
中浜大橋からの展望 中浜漁港の上を通る県道27は、この区間にはバイパスとなっています。丁度中浜漁港の上を中浜大橋が通っているので、この橋の上から漁港を一望できます。
岩と緑のコントラスト 竜串海岸には遊覧船も出ていますが、この海岸で一番美しいのは奇岩よりも岩と海岸に繁る木々の緑のコントラストです。これは遊覧船から見るのが一番良いでしょう。 遊歩道 遊歩道が設けられていますが、溝や段差の箇所にコンクリートが打たれているだけで、殆どは岩の上を直に歩きます。足場は決して良くありませんので、サンダルなどで歩くとケガをしかねません。 V字谷 岩と岩の間を遊歩道が抜けて行きます。
黒潮のぶつかる岬 臼婆は日本でも数少ない黒潮が直接ぶつかるところです。このため、釣り人に大人気で、臼婆に設けられた小さな駐車場は釣り人の車まで一杯です。 展望台への階段 県道27の臼婆の駐車場から展望台までは写真のような階段を延々と上ります。結構ハードです。
ジョン万次郎像 高知県は銅像が好きなのか、岬には大抵銅像が建っています。ジョン万次郎は中浜の漁師に生まれ、出漁中に時化に遭いアメリカの捕鯨船に救助され、そのご数年をアメリカで過ごしたのち、幕末維新に帰国して活躍した人物 ...... 灯台 足摺岬から灯台までは遊歩道が延びています。遊歩道は他にもあり、岬全体を廻ることもできますが、さすがに体力的にきついものがあります。 遊歩道 足摺岬の遊歩道です。南国ならではの植生が目を引きます。遊歩道には木々が張り出していて、うっかりすると枝にぶつかったりします。
大水車 野中兼山ゆかりといわれる水車は数百年を経ても現役で水路に水をくみ上げています。大きな水車は人間の背丈よりも直径が大きいです。
桂浜 数年前まで工事を行っていた竜王岬の工事が完成しました。岬は波の浸食でぼろぼろとなっていましたが、コンクリートなどで自然の岩そっくりに再現されています。 竜王岬 竜王岬には小さな展望所が2つあります。狭い展望所ですが、人がとぎれなく訪れます。 月の名所の桂浜 この写真は12月末日に撮影したものです。あいにくの小雨でしたが、月が雲の間から顔をのぞかせてくれました。本来なら月の美しさを楽しむところですが、12月末日の寒さに加えて雨のため、早々に立ち去りました。
馬関戦争の手紙 馬関戦争(幕府と長州藩の戦い)で坂本竜馬は蒸気船を率いて参戦しましたが、その時の内容を手紙に書いたものです。大きく中央に関門海峡の地図が描かれ、その周りに上下左右をかまわず文字が書き加えられています。 新婚旅行の手紙 竜馬がおりょうと日本で初めての新婚旅行をしたことは有名です。旅行先の塩浸し温泉にも二人の銅像が建っています。この手紙はその時の模様を描いたものです。中央の朱入りの絵は、韓国岳や高千穂だけに上ったときの様 ...... えへんえへんの手紙 海舟勝隣太郎の門人となって、大得意の時期に乙女姉さんに書き送った手紙です。躍るような文字で書かれていて、最後がえへんえへんでおわっている、実に面白い文章です。 記念館屋上の展望所 記念館の屋上は展望所となっています。東側は山が邪魔となり景観に恵まれませんが、西は遠くまで見晴らせます。この日はあいにく霞がかっていますが、空気が澄んでいれば足摺岬まで見えるそうです。
記念の石碑 生誕の記念碑です。大きな石碑がこぢんまりとしたスペースに立っているのには愛嬌を感じます。 生誕の地の裏通り 坂本竜馬生誕の地の石碑の裏通りです。竜馬が生まれた頃は、表通りからこの路地裏までが坂本家、ないし才谷屋の敷地だったそうで、地元でも評判の大屋敷でした。 江戸時代から流れる用水 この用水は江戸時代から流れているそうです。坂本家の裏手にあるので、当然竜馬もこの用水で水遊びをしたはずです。
江戸時代の高知城下を再現 ミニチュアで江戸時代の高知城下を再現しています。こうして立体的に見ると、当時の情景がよくわかります。かなりしっかりとした都市計画の元に高知城下が作られていたことがわかります。 残念ながら資料は乏しい どうしても桂浜の竜馬記念館と比べてしまいますが、写真や手紙などの資料は乏しいです。その代わり、CGを利用したり楽しめる様々な工夫が凝らされています。竜馬生誕の地の見学とあわせて訪れるのが良いでしょう。
交通、参勤交代のルート 高知城下を中心として、江戸時代の交通のルートが書かれた地図です。現代とさほど変わらない道もあれば、すでに廃道となっている道もあります。見ていて実に興味深い資料です。
武者隠れ 殿様などの高位の人が謁見するときには、この扉の向こう側に警護の武士が隠れていたそうです。 武者隠れの内側 武者隠れの内側の写真です。思いの外狭いことがわかります。数名が隠れていたとすると、短時間で謁見をすませてくれないと息で蒸れてきそうです。ここは南国の土佐、夏場にここに入りたくはありません。
二の丸から天守閣を望む 本丸の1つ下、二の丸から天守閣を望みます。熊本城や会津若松の鶴ヶ城に比べると、城郭に比して天守閣が幾分小振りな印象を受けます。 天守閣からの眺め 天守閣の最高所から下を眺めます。殿様になったようでよい気分です。写真は本丸です。上ってくる途中に通った道でも、上から見るとまた違った印象を持ちます。 高知市街を望む 高知市街を望みます。市街の真ん中にあるだけあって、周囲を一望できます。高知県で一番偉い知事さんが執務をとる県庁舎までも見下ろせるのは、多少ユーモアを感じます。
階段 江戸時代のままの勾配のついた階段で、かなりの急勾配です。階段そのものは新しく作られたもののようです。 詰門(筋違いの門) 階段を上って行くと、本丸の前にある筋違いの門に行き当たります。江戸時代には侍が2階に詰めていて、本丸の警護をしていました。 石垣 石垣は戦国時代の名残を残す「野づら積み」と呼ばれる工法で作られています。野づら積みは戦国末期から江戸時代初期にかけて、近江(滋賀県)の穴太衆が用いた工法で、石を自然の形のまま堅固に積み上げて行きます。 黒鉄門(搦め手) 本丸の裏口に当たるのがこの黒鉄門(くろがね)です。一般に裏口は搦め手(からめて)と呼ばれていて、普段は使用されませんでした。
はりまや橋は再建 戦災で消失したのか地震で倒壊したのか忘れましたが、現在のはりまや橋は戦後再建されたものです。 はりまや橋の周辺 はりまや橋の周りの町並みは美しく整備されています。橋そのものよりも周りの町並みを見る方が楽しいと思います。
母屋 母屋です。田野町の浜口家旧宅と比べると、基本的な構造は同じですが、高知城下に近いからか細部に違いが見られます。 屋内 浜口雄幸生家は戸が開いているので、屋内を見ることができます。
高知市街を一望 五台山の展望台からは高知市街を一望できます。 花の名所 五台山は花の名所でもあります。冬にはさすがに花は咲いてはいませんでしたが、春から秋にかけて、色とりどりの花や紅葉を楽しむことができます。
安芸の町並み 安芸の市街部をはずれ、野良時計の周辺を散策すると写真のような路地がたくさんあります。自転車で走るにはうってつけでしょう。近くには武家屋敷跡もあります。 安芸城趾 安芸城趾です。本丸の南半分と堀だけが残されています。本丸の北半分は住宅地です。
倉、納屋 農家らしく大きな倉や納屋が横手、裏手に建てられています。 建物の中を見学する 岩崎弥太郎生家は戸が開いているので、中を見ることができます。といっても建物の上に上がれるわけではありません。土間や座敷など江戸時代から明治にかけての風俗が偲ばれます。 石垣 岩崎旧宅を一周していると、いつの間にかとなりの庭先に入ってしまいます。写真は石垣がとぎれて、となりの庭とつながっている箇所です。
母屋 中岡慎太郎は北川村の庄屋の出身ですが、建物の作りは郷士屋敷とよく似ています。上の写真は来客が最初に入るところ、この写真は内門をくぐって母屋を見たところです。 中岡慎太郎墓所 生家のすぐ近くに中岡慎太郎の墓所があります。正確には遺髪がまつられていて、遺骸は京にあります。慎太郎の墓石の左右には家族の墓石が並んでいます。 中岡慎太郎記念館 生家の傍らに中岡慎太郎記念館があります。入館料はこの時点では500円です。中岡慎太郎の事績や写真などの展示は豊富でわかりやすいですが、資料的価値の高いものや大いに興味をそそられる展示がないのがチョット寂 ......
母屋 この家屋はつい最近まで人が住んでいたようです。浜口雄幸旧宅のような保存状態の良さはありませんが、清岡旧宅の方が人の住んでいたぬくもりを感じさせてくれます。裏手には公園があり、近所の子ども達の遊び場となっ ...... 倉 浜口家旧宅も清岡家旧宅もともに郷士屋敷です。江戸時代は身分の固定していた時代ですが、建物もほぼ同じ作りとなっています。身分によって住む家の構造まで決まっていたことがこのことからわかります。 奈半利川河口(二十三士最期の地) 清岡道之助ら二十三士が土佐藩吏にとらえられて、最後を迎えたのがこの奈半利川河口です。清岡旧宅の近くの高台から、河口を一望できます。
本陣跡 訪れたのが早朝だったためか、それとも通年を通して入場を制限しているのか、中にはいることは残念ながらできませんでした。白壁越しに見た本陣は意外なほど大きく、江戸時代には各宿場ごとにこうした本陣があったそう ......
母屋 母屋を始め建物はとても良い保存状態です。浜口家は郷士とは言っても「白札」という土佐藩独特の階級で、上士待遇の郷士という身分でした。白札の出身で他の著名人では、坂本竜馬の友人の武市半平太がいます。 母屋と納屋 母屋を反対側から見たところです。左端に見えるのは納屋と思うのですが、今はトイレとなっています。
室戸岬の遊歩道 室戸岬の遊歩道です。国道55から遊歩道に降りられる箇所がいくつもあり、時間や体力あわせてルートを選ぶことができます。 中岡慎太郎像 室戸岬の付け根の北川村の出身と言うことで、岬の先端に中岡慎太郎像が建っています。
御蔵洞 御蔵洞から太平洋を見ます。空海上人がこの洞窟から外を見ていたときに明星が体内に宿ったと伝えられていますが、実際に洞窟から外を見ると、不思議な感覚がします。
物部川の南岸の集落 物部村は深い山の中にあります。中心部こそ小さな盆地の中にあり、若干の平地がありますが、ほとんどの集落は山の斜面に造られています。写真は宇筒舞林道の入り口にある集落です。こうした斜面の集落は西日本だけに見 ......
月の名所は桂浜 月の名所の桂浜といわれる桂浜の満月です。時刻は午後8時を過ぎていましたが、駐車場とゲートは10時頃まではあいているので、夜でも桂浜へ降りることができます。
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幕末維新時代の土佐出身の英雄として坂本龍馬と並び称されるのが武市半平太です。戯曲の月形半平太のモデルとも言われています。武市半平太の生家が歴史の偶然で、現在も残っています。一般の方が住居として住んでいますので、うれしいことに歴史上の遺構というしかめっ面しい雰囲気はみじんもありません。住んでいる方に迷惑 ......
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